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拡散希望:日本人の「真の近現代史観」

各位

                東京近代史研究所 代表 落合道夫 

時局多難な折から皆様にはご苦労様です。
本論文は平成20年度アパ歴史論文公募で田母神空将につぐ優秀賞受賞作品です。
日本に対する近代史を使った謀略工作が激化しているので、自衛のためにぜひこの歴
史観をご活用下さい。
またご賛同いただきましたら、一層の拡散にご協力ください。

なお本論文は現在、全国アパホテルに常備されているほか、全国郷友連盟会報「誇り
ある日本の再生」(H21.8)、特攻隊戦没者慰霊祈念平和協会会報(H22.5)に転載
されています。

よろしくお願い申し上げます。

                                      
              以上

---

日本人の歴史観  :  「真の近現代史観」  

                  東京近代史研究所 代表 落合道夫 

解説:平成20年度アパ歴史論文公募で田母神空将につぐ優秀賞受賞作品。
   本論文は現在、全国アパホテルに常備されているほか、全国郷友連盟会報「誇
りある日本の再生」(H21.8)、
   特攻隊戦没者慰霊祈念平和協会会報(H22.5)に転載された。

序:

最近戦前のソ連の宣伝本「蟹工船」が売れているという。ソ連の崩壊で共産主義運動
の犯罪性が世界的に証明されたというのに大変な時代錯誤である。映画最後の早慶戦
では最後の「海行かば」の大合唱の史実が隠蔽されているという。これはどういうこ
となのだろうか。

今日本は内憂外患こもごも来たるという難局に差し掛かっているが、これらの原因の
多くは今も続いている占領憲法以下占領政策にある。しかし国民には戦後史の真実が
隠されているように思う。そこで国民は日本の難局を解決するために真の近現代史を
学びなおす必要がある。ただし歴史を学ぶというのは従来のような反日イデオロギー
で歴史を決めつけるのではない。歴史事件を具体的な因果関係でつなぐことである。
歴史の連鎖では結果が新しい原因となる。そこで今後の日本の真の独立国家としての
進路を考えるにはまず大東亜戦争を正しく理解しておくことが必要である。

一、戦前の歴史:

戦争は突発することはない。そこには大きな時代の流れと指導者の決断がある。そこ
で大東亜戦争をめぐる極東の近代史を四大要因から考えてみたい。

第一は白人の植民地主義である。現代の日本人には理解がしがたいが、戦前の世界は
白人が支配していた。インドネシアなどは三百年にわたり植民地にされオランダの圧
政の下で収奪されていた。このため二十世紀に入ると支配者の白人と民族独立を望む
現地人との対立が先鋭化していた。この中にあって日本は最後に残された有色人種の
独立国として国際社会で健闘していたので白人からは邪魔者として憎まれ、有色人種
からは希望の星として頼りにされ尊敬されていたのである。

第二は米国の西進植民地主義である。米国は西部開拓が終わると太平洋に向かって勢
力を伸張しハワイ王国を滅ぼし、米西戦争で独立したフィリピンを武力占領して植民
地化し、さらに支那満洲への進出を企図していた。このため大陸に先行する日本は邪
魔であり日本が満州国を建国すると「満洲国不承認」宣言を発表して日本への敵意を
明らかにしたのである。

第三は支那の混乱である。一九一二年外来の満州人の清王朝が衰退すると、支那は複
数の軍閥の抗争する戦国時代に入った。これは蒋介石ら国民党軍閥にとっては支那民
族の復権と国家統一の機会となったが、同時に統一権力の不在は諸外国の国際工作の
場となった。日本も日清、日露戦争以来支那には権益を持っていたので特にソ連の極
東工作に巻き込まれることになった。

第四は大東亜戦争の真の原因である独ソ戦の影響である。すなわちソ連のスターリン
はヒトラーの著作「わが闘争」からソ連攻撃の近いことを予想していたので、東西挟
撃を避けるために東部国境の反共勢力である蒋介石軍閥と日本を無力化することを
謀った。それが反共勢力同士の戦争であり一九三六年の西安事件を始まりとする支那
事変である。

本来蒋介石も日本も戦争を望んでいたわけではなかった。蒋介石は国共内戦勝利で支
那統一の五分前と言う有利な状況におり、日本もソ連を警戒していたので大陸の戦争
をする意志はなかったのである。それなのに蒋介石は西安事件で逮捕され脅迫に屈し
てソ連の傀儡となると、通州日本人大虐殺など執拗な対日挑発を起こした。これに対
して日本は上海事変の反撃から大陸の全面戦争に引きずり込まれスターリンの狙い通
りの展開となった。ソ連は蒋介石側に三億ドルと言う天文学的な軍事援助を与える
と、四千名に上る赤軍軍事顧問団を多数の軍用機、武器弾薬とともに送っている。

この戦争にかねてから日本の弱体化を狙っていたルーズベルトが便乗して日本の講和
仲介要請を断ると蒋介石に大々的な軍事援助を始めるのである。そして三年後さらに
経済封鎖して日本の反撃を挑発したのが太平洋戦争である。ソ連は日本軍をさらに南
下させるために米国の支那満洲への野望を利用しハルノート原案を提供するなど日米
の戦争を画策した。

日本軍は少数であったが精鋭であり独立を望む現地人の援助を受けて圧倒的に優勢な
白人植民地軍を撃破した。そして解放したアジア諸民族にそれまで宗主国が禁じてき
た民族主義による独立準備教育を行った。日本軍は勇戦したが原爆まで投下されて降
伏した。しかし日本人は敗北したが大東亜戦争は正しい自由と独立を守る自衛戦争で
あったことを知っておくべきである。


ニ、戦後史(ソ連崩壊前)

日本の勢力が失われた極東はどうなったのだろうか。一言で言って米国の思惑通りに
はならなかった。それどころか米国の油断によりソ連が強大化したため、米ソの対立
が始まり冷戦が長く続くことになる。ソ連は戦争中、米国のルーズベルトの容共主義
を利用して百十五億ドルにのぼる莫大な軍事借款を取り付け独ソ戦に勝利したが、そ
の間に米国の高度な軍事技術や原爆製造技術まで窃取し、欧亜に版図を大々的に拡げ
ることに成功した。このため戦前とは比べ物にならない危険な大国となった。米国の
ウェデマイヤー将軍は「第二次大戦の唯一の勝利者はルーズベルトやチャーチルでは
なくスターリンであった」と述べている。(引用抜粋:同将軍著「第二次大戦に勝者
なし」)ソ連は戦争が終わると戦時中の新米方針を一変させ、天文学的な軍事援助を
踏み倒し世界各地で米国に厳しく対立した。一九四六年英国のチャーチルは「鉄の
カーテン」演説でこのような戦後世界を作るために戦争をしたのではないと嘆いたが
後の祀りだった。

米国の西進支那満洲進出戦略については、ルーズベルトはヤルタ会議でスターリンに
米国の腹の痛まない日本の領土や帝政ロシアの支那利権、九十万トンに上る膨大な武
器を代償に満洲の代理占領と戦後の蒋介石支持を取り付けていた。米国はその後蒋介
石を傀儡に支那満洲を支配するつもりだったのである。しかしスターリンは米国の腹
を見抜くと何度も蒋介石支持を確約した上で代償を先取りすると、一転違約して満洲
を毛沢東に渡してしまった。米国の原爆投下の威嚇もソ連に地上戦を恐れる本音を見
抜かれていたので効果はなかった。

そしてソ連に支援された毛沢東は内戦で米国が支援する国民党蒋介石軍を撃破してし
まった。この結果一九四九年米国は支那の全拠点から追い出され、長年の支那満洲を
狙う西進アジア政策は失敗に終わった。そこでマッカーサーは「支那の共産化と喪失
は米国太平洋政策百年の最大の誤りであった」と総括した。

太平洋戦争の米国の狙いが日本の占領ではなかったことは重要である。また支那は三
十七年ぶりに統一され戦前のような列強の工作の場ではなくなった。

白人の植民地主義については、日本が降伏すると宗主国は植民地の再建を図り、旧植
民地に来襲した。米英は大西洋憲章で植民地の独立を約束したが嘘だった。白人はア
ジアの植民地を失うと欧州の一小国になり下がるので、強引に植民地を再建しようと
した。しかしこの時代錯誤の再植民地化に対して現地側は日本軍の教育を受けた青年
たちが日本軍の残した武器を持って独立戦争に立ち上がったのである。

戦況は多くの近代兵器を装備する白人宗主国側に有利となったが、ソ連が民族独立運
動に介入し武器を送り反米闘争に利用し始めたので、米国はむしろ民族主義政権によ
る独立を望むようになり白人諸国に圧力をかけた。このためオランダはしぶしぶイン
ドネシアの独立を認めたのである。ベトナムではすでにソ連が糸を引くベトナム共産
党が植民地独立運動を指導していたので、仏の再植民地化は失敗し撤退した。インド
をはじめとする広大な英国のアジアの植民地も独立した。米領フィリピンも独立し
た。結局米国は日本を追い詰めたために反撃されその影響でアジアは独立し、欧米の
植民地体制全体が崩壊したのである。

このためあるアジア在住の仏人は、「日本は一般的には第二次大戦で敗北したとされ
るが、アジアのこの一角では勝利した。戦後この地域は一変した」と述べている(C
・ソーン著「太平洋戦争とは何だったのか」)。このアジア諸民族の独立運動がアフ
リカや南米の植民地独立に伝搬し、さらに米国の黒人の公民権回復運動を支援し、今
日の多数の独立国からなる世界を作ったのである。


三、日本近代史:

こうした戦後世界の変化に対して、敗戦した日本はどのように対応してきたのだろう
か。日本は降伏するとまず占領軍の厳しい軍事独裁化におかれ、世界から遮断され徹
底的な破壊を受けた。占領行政と言うと占領軍が破壊された日本を再建したように思
う人がいるが、米国のその後の対日政策の転換後の記憶が上塗りされたための勘違い
である。

彼らの日本占領の目的はあくまでも彼らの戦争目的の完遂であった。米国の太平洋戦
争の目的は、支那満洲支配のために邪魔な日本を二度と立ち上がらせないことであっ
た。他方ソ連の目的は将来の米国撤退後における日本の共産化であった。両者は同床
異夢であったが、当面の日本破壊では一致していた。彼らの占領政策の核心は日本民
族の共同体の破壊であり、日本人の生存、生活、再生における伝統と連帯の断絶で
あった。そして重要なのはこれらの破壊政策を日本人に後から戻されないように相続
制度を変更したことである。仏人のトクビルが指摘しているように人間の社会構造の
基礎は相続制度にある。

古来日本人は戦争や飢餓などの生存の危機に対応して子孫が生き延び復活できるシス
テムを作ってきた。それが相続制度である。だから相続は平等ではないし平等であっ
てはならないのである。なぜなら平等にすると全滅するからである。

これは救命ボートの定員問題に似ている。全員がボートに乗れば全滅する。しかし半
数だけでも助かればその後子孫が増えて血族として復活する可能性が出てくる。ここ
には個体の生存よりも血族の継続を重視する人類の究極の知恵が見えるのである。
そこで敵は日本人の相続制度を平等主義に変えて、一時的な個人の欲望を利用し、全
体の破壊政策を修正させないように仕組んだのである。これは仏革命やその後の共産
革命でもみられた左翼の定番政策であった。このため日本は今少子化が止まらず戦前
の美しい家族愛が失われ道徳が乱れて苦しんでいるのである。


四、日本正常化の機会と回避、挫折

日本が占領軍に破壊されている間に極東情勢は急速に変化した。このため戦前のアジ
ア政策を引きずる米国の日本占領政策は時代遅れになってきた。米国では中共の支那
統一で大陸から追い出されると、「支那が失われた」と悲痛な叫びが国中で上がっ
た。これと同時に米国の邪魔だった日本を占領支配する意味は失われ、かえって武装
解除した日本の国防代行が大きな負担になってきた。

そしてさらにスターリンが一九五〇年米国の注意を欧州からそらすために、朝鮮戦争
を起こすと、米国では身勝手にも「アジアはアジア人に守らせろ」の声が上がりだし
た。日本を再軍備して米軍の犠牲を減らそうと言うのである。

そこでダレス国務長官は一九五〇年来日し、吉田首相に再軍備を許可した。対日占領
政策の基本である日本非武装化方針を百八十度転換したのである。これとともに東京
裁判による日本軍人の処刑はピタリと止み、二度と再開されることはなかった。しか
し吉田は占領憲法や経済困窮などを理由に再軍備を拒否した。

だが吉田の真意は別にあった。すなわち、米国が戦前以上の三十万の日本軍の再建を
求めるのはそのうちの十万を朝鮮に国連軍名目で派遣する腹と読んだからである。す
なわち日本としては米国の極東政策の失敗を日本青年の血で尻拭いさせられてはたま
らないということである。ただし吉田は独立国家の自衛は当然の権利と考えていたの
で、後年は核自衛を主張した。

米国は日本政府の自衛反対を知って困惑し、それまでの占領政策を矢継ぎ早に変更し
始めた。まず一九五一年占領軍総司令部のマッカーサー将軍を更迭した。これは彼の
影響力が日本の再軍備に有害と見たのである。マッカーサーは早速議会で「日本の戦
争は自衛のためであった」、また「憲法九条は日本人が作ったもの」と証言し、日本
政府が再軍備し易いように誘導した。

そして一九五二年には日本に再軍備させるべくサンフランシスコ講和条約を作り独立
させた。このため同条約にはベルサイユ条約のような敗戦国の国防制限はない。しか
し日本政府は用心深く再軍備をせず、警察予備隊を創設しただけであった。

このため米国はやむなく講和と同時に日米安保条約を締結した。そして一九五三年十
月には国務省のロバートソン国務次官補が与党幹部の池田勇人を招き、再軍備を要請
した。
これに対して池田は以下の理由をあげて断った。
①兵役対象の青年は米占領軍により何が起ころうと二度と銃を取らないように教育さ
れた。
②婦人、特に遺族は大切な人をささげたのに戦後大迫害を受けたので絶対に反対す
る。



③それでも軍隊をつくると米占領軍が共産主義を広めたので、軍隊が共産クーデタを
おこす可能性がある。(抜粋引用:「吉田茂とその時代」J・ダワー著)

米国は占領政策を反省するしかなった。日本軍を千人でも残しておけばよかったので
ある。そこで会談直後米政府はニクソン副大統領を東京に派遣し、日米協会の昼食会
で占領憲法の第九条は誤りであったと公式に声明を出させた。朝鮮戦争は一九五三年
スターリンが急死すると休止状態になり、日本軍の出兵の可能性は低くなっていた。
しかし日本政府は憲法を改正せず再軍備しようとしなかった。日本のマスコミはソ連
の影響を受けて左翼的であり、占領状態の正常化に反対した。

このため国民は国際情勢の変化を正しく知らされないまま、日本に開放された米国市
場を利用してひたすら経済復興に邁進したのである。こうして戦後第一の占領体制正
常化の機会は失われた。政府がまに合わせに作った自衛隊は名前から分かるように軍
隊ではない。軍法会議など万国共通の軍隊の基本機能を持っていないからである。

五、ソ連崩壊と日本の危険な状況:

この後日本は経済発展を続けたが、政治やマスコミ、文化界の価値観は占領時代初期
の左翼的な反日のまま固定していた。そこに世界史的大事件が起きた。それは一九九
一年のソ連の自滅である。ソ連は人類初の理想主義国家として誕生したが、七十年後
に崩壊して分かったことは未曾有の犯罪国家であった。この事実が分かるとそれまで
日本で支配的であった左翼は勢力を失った。もともと左翼思想はあいまいな妄想であ
り、左翼運動は冷酷な現実主義者が妄想的共産主義者を利用して権力を握り私利私欲
を満たす詐欺運動であった。この単純なカラクリは英国のG・オーウェルが「動物農
場」で風刺している通りである。ソ連が崩壊すると国際社会では新しい二つの動きが
現れた。一つは国際経済が国境を越えて諸国民の生活に大きな影響を与えるように
なったことである。それが文化的社会的な反発を招き大きな問題になっている。もう
一つは米ソの冷戦で押さえつけられていた各国の民族主義が盛んになったことであ
る。この結果世界は核兵器の拡散と合わせて米国一国では管理が難しい状況になりつ
つある。そして米国はすでにアジアには地理的利権がなくイデオロギー的な対立も消
えku梵C里如・椶硫礎佑發覆・覆螢▲献△・號姫卆・魏爾欧詁阿④・个討い襦・衫
梁寮・鯔麓蕕靴討④親椶砲箸辰涜臺儡躙韻幣・靴砲覆辰討い襦・・w)w)


六、日本の課題:

そこで日本の政治を見ると国際社会の激しい変化に正しく対応してきたのだろうか。
日本の与野党やマスコミの行動は、ともに日本の独立や建国を祝わない、共同体の犠
牲者である靖国神社の英霊に感謝しないという点で共通である。これは半世紀以上も
前の反日占領体制を占領軍に代わって続けているのと同じである。だとすると彼らは
占領体制を変えたくないのではないか。マスコミも戦後世界の変化と冷厳な現実を国
民の目から覆い隠してきた。しかし外国による横田めぐみさんらの国民拉致、竹島領
土侵犯事件などの被害が明らかになり、もはや隠しおおすことはできない。このため
国民の間には占領体制をいつまでも続けようとする与野党に見切りをつけ新しい政治
勢力に期待するという声が上がっている。その場合核となる政策は占領軍に奪われた
国民国防制度と家制度の回復であろう。

その正常化が他の分野を芋蔓式に正常化してゆく。一九五三年日米会談で池田勇人は
ロバートソン国務省次官補に「日本人が自分を守るのは自分しかないことに気づくに
は相当の時間がかかるだろう」と述べた。(抜粋引用「吉田茂とその時代」)またあ
る米国GHQ要員は離日時に日本は長い歴史のある国だから、独立を回復すれば占領
軍に破壊されたものを復旧させてゆくだろうと述べたという。今その時が来ているの
である。

                                      
    了
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.12 2010 特別寄稿 comment0 trackback0

防衛力強化が第一

元民社党委員長  塚本 三郎




 今日の日本にとって、最大の問題は、安全保障に対する認識の欠如である。

 第一の原因は、憲法の第九条である。敗戦後、占領軍は、日本国民が再び強力な国家とし再起することを恐れ、強固な独立国家とならないよう、歴史上、類例の無い不戦の憲法を押し付け、独立後も続けて保持することを強要した。

 当時の日本国政府と国民は、多少の異論はあったが、占領軍の強要を逆手にとり、防衛を米軍に任せ、日本国家は、ひたすら戦後の復興と経済建設に努め、史上稀にみる経済大国を建設した。だがその結果が、日本政府も、国民も予知しなかった、自主独立の国家観を喪失した。

 第二の原因は、占領軍の実施した「東京裁判と呼ぶ復讐劇」によって、日本国家こそ、戦争挑発者であり、侵略国家であったとの、誤った歴史認識によって日本を断罪した。特に日本軍部は、日本政府と国民を犠牲にした犯罪者と断罪した。日本に軍隊さえ無ければ戦争は起きないと言う、歴史認識を一方的に強要した。

 第三は、東京裁判と共に日本国内の体制一新の為、公職者追放により、戦時中の指導者を一掃することで、新しい日本社会を造らせた。自由、平等、平和の言葉によって、戦争に協力しなかった人達を新しい指導者として、戦後体制を造り替えた。

 占領下として、米軍の支配体制を「独立後も維持」する為の、国民の歴史認識と指導体制を引き続き持続せしめ、それが今日に至るも潜在的思想となっている。

 安全保障と防衛力の必要性は、周囲の実状と比例する。

 戦後の荒廃した日本国家には、奪うに値するもののない、廃墟に泥棒は侵入しない。

 だが宝の山には、頑強な塀を必要とする。強奪して失うものよりも、得ることの方が大となれば、食指を動かす相手が生まれる。侵略者の敵意を抑えるのに役立つのは、強固な防衛力、抑止力である。

 近年、日本の周辺は、緊張を増す軍事情勢である。日本が非武装国家であることも、その緊張を高める一つと思う。

 ロシアも、朝鮮半島も、特に中国の、常識を逸した軍事力増強も、アジアの緊張を増大せしめている。心配なことは、これ等の国々が、独裁政権であること、その為に、国内の不平、不満の高まりが、危険水域に到りつつある。

 それに対し、国内体制は鳩山総理と小沢幹事長の代表辞任で、民主党の表紙が変り、菅直人氏に交代して、国民世論も大いに見直したようだ。

 表紙が変わっても中身が変わらなければ信頼できない。

 菅政権は前任者二人の「政治とカネ」の問題を解消するため、「清潔を売り」にした。しかし、バラマキのマニフェストと共に、国家の解体を目論む危険な政策をあきらめ、防衛力を軽視して来た、民主党の理論と政策を、見直すことが決定的に大切である。
.10 2010 特別寄稿 comment0 trackback0

もっとある民主党政権の危険性

日本政策研究センター 所長 岡田 邦宏


鳩山内閣の支持率が毎月のように急落し、今やどの調査でも二〇%台に落ち込み、一九・一%と二〇%を切る結果も出はじめている。七月の参院選で民主敗北を予想する向きが多いのも当然だろう。

 しかし、この支持率急落は、普天間移設問題に象徴される鳩山首相の「ルーピー」ぶりに呆れ果てた結果であり、必ずしも民主党の本質的な「危険性」に気がついたからではなかろう。

 外国人地方参政権や夫婦別姓はかなり知られるようになったが、まだスポットが当たっていない大問題がある。例えば、鳩山首相は施政方針演説などで「国のかたちの一大改革」「地域主権革命」だと強調した「新しい公共」「地域主権」という問題である。

 多くの国民は「地域主権」と言えば「地方分権」を徹底したもの、「新しい公共」はNPOによる自治体機能の補完という程度の話だと受けとめているようだが、決してそんな話ではない。

 詳細を紹介する紙数はないので、鳩山首相の重要演説の執筆者である松井孝治官房副長官と劇作家の平田オリザ内閣官房参与がこの問題をどう捉えているかだけを紹介しよう。この二人は今年二月、あるシンポジウムに登場し次のように語っている。

《平田 ずっと10月以来関わってきて、鳩山さんとも話をしているのは(略)、やはり21
世紀っていうのは、近代国家をどういう風に解体していくかっていう百年になる(略)。しかし、政治家は国家を扱っているわけですから、国家を解体するなんてことは、公にはなかなか言えないわけで、(それを)選挙に負けない範囲で、どういう風に表現していくのかっていうこと(が)、僕の立場。

松井 要はいま、平田さんがおっしゃったように、主権国家が、国際社会とか、地域の政府連合に、自分たちの権限を委託するっていう姿。流れとしてはそういう姿になっているし、そうしないと、解決できない問題が広がっている。》(『週刊現代』四月六日号の逢坂巌論文から引用)

 ここで二人が語っているのは、「近代国家」つまり「主権国家」の解体に他ならない。

 彼らはもうこうした認識のもとで、「地域主権」「新しい公共」を鳩山演説のなかに「すごく巧妙に」潜り込ませたと言うのである。つまり、鳩山首相の「地域主権革命」「国のかたちの一大改革」は言葉の綾などではなく、文字通り「国家の解体」をめざすものだと自白しているとも言える。

 ここに民主党政権の根本問題があり、外国人地方参政権問題などの「日本解体法案」の根っこもこの辺りあると言える。その意味で、参院選挙は鳩山退陣という看板の掛け替えで終わらせてはならず、民主党政権を追い落とす確実な第一歩としなければならない選挙と言える。

.06 2010 特別寄稿 comment0 trackback0

『嵐に起つ人』

二月二日、日比谷公会堂に二千六百人の草の根(草莽)国民が全国から結集し、憂国の熱気溢れる中、「頑張れ日本!全国行動委員会」が結成された。

日比谷公会堂の事務員の話では、ここ十年でこんなに人が集まったことは無かったそうである。

登壇した安倍元首相や平沼元経産相等、政治家文化人も、その熱気に驚き、感激していた。しかし、私は大会開始前、運営を手伝っていただいたボランティアの人達に申し上げた。

「今日は、元首相をはじめとする政治家や文化人の皆さんが登壇します。皆さん、それぞれ立派な方たちです。しかし、本日の主役は彼らではありません。全国から駆けつけてくれる草の根、日本草莽の皆さんが主役です。草の根、草莽の民とは、以前、日下公人先生がお話しされていたように、損をする人です。草莽崛起の人は損を覚悟で引き受ける人です。そういう方が全国から集まってくれます。その人たちこそ、今日の主役です」

 政治家や文化人に頼り、お願いし、陳情するのではない、新たな日本草莽運動の誕生がこの日の主な目的だったからである。

自立した草の根、草莽の民が決起してこそ、全国地方から中央に「攻め上って」こそ、戦後日本の悪弊を打破し、誇りと道義に満ちた独立不羈の国家日本が視界に入って来る。この気概を持った人物は、今の日本に数える程しかいない。

草莽の士であり、草莽と共に起ち、草莽として、草莽と共に倒れることも辞さぬ覚悟を持った人物が今、危機にある日本に求められている。日本世論の会会長の三輪和雄氏はその数少ない人物の一人である。

私は講演会や街宣活動で、三輪さんとご一緒する時が多いが、彼が聴衆に対して「上から目線」で演説するのを一度たりとも見たことが無い。

三輪さんはいつでも、どこでも、日本国民と同じ場所に立っている。生活を論ずる時も、天下国家を論ずるときも、語りかけるのはいつでも草の根日本国民である。

鳩山や小沢を見れば良く分かるが、庶民の汗や涙、喜びや悲しみを身体ごと分からぬ人間に政治家の資格など無い。三輪さんは、それがわかる男である。だから、現在の日本の危機を見る時、損をしても、一身を犠牲にしても、日本の為に、血と汗と涙を流すことを決意したらしい。頼もしい限りである。

 私たち草莽は、路傍の小さな石ころのような存在かもしれない。しかし、その石ころを洗い、磨き上げ、石ころ同士をぶつけ合わせれば、火花が生まれる。火花は燎火(かがりび)となって山野を焼き尽くし、世界を変える力となるのだ。

「頑張れ日本」運動は、日本草莽による燎火を生み出す「草莽崛起」運動である。

三輪さんは、素晴らしい草莽の火打石になってくれるだろうと、私は確信している。

株式会社日本文化チャンネル桜・代表取締役社長 水島 総
.10 2010 特別寄稿 comment0 trackback0

民主党地方議員に危機感

 地方選挙から民主党後退の傾向がうかがえる。

 二月二十一日の長崎県知事選挙・町田市長選挙の大敗ぶりは政治業界人の予想をはるかに上回り、同日行われた各地の市議選でもそれが表れている。

 民主党推薦をとったある無所属陣営は「判断を誤った」と語った。かろうじて入ったものの「民主党」の看板が邪魔になっているのを「現場」は感じつつある。

 町田市議選はみんなの党の新人が大量得点で二位当選。同党が地方選挙でも非自民・非民主の保守層の受け皿になることが感じられる。

 日野市議選では、外国人参政権反対を選挙公報にも記載した古賀壮志議員が前回の倍近い得票でトップ当選を果たした。

 来年の統一地方選挙を控え、今の民主党体制に危機感を覚える議員がいっきに増えることにつながる結果が示された。

 今は静観をしている民主党所属地方議員の動向が注目だ。

(ジャーナリスト・林田有香)
.28 2010 特別寄稿 comment0 trackback0
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