各位
東京近代史研究所 代表 落合道夫
時局多難な折から皆様にはご苦労様です。
本論文は平成20年度アパ歴史論文公募で田母神空将につぐ優秀賞受賞作品です。
日本に対する近代史を使った謀略工作が激化しているので、自衛のためにぜひこの歴
史観をご活用下さい。
またご賛同いただきましたら、一層の拡散にご協力ください。
なお本論文は現在、全国アパホテルに常備されているほか、全国郷友連盟会報「誇り
ある日本の再生」(H21.8)、特攻隊戦没者慰霊祈念平和協会会報(H22.5)に転載
されています。
よろしくお願い申し上げます。
以上
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日本人の歴史観 : 「真の近現代史観」
東京近代史研究所 代表 落合道夫
解説:平成20年度アパ歴史論文公募で田母神空将につぐ優秀賞受賞作品。
本論文は現在、全国アパホテルに常備されているほか、全国郷友連盟会報「誇
りある日本の再生」(H21.8)、
特攻隊戦没者慰霊祈念平和協会会報(H22.5)に転載された。
序:
最近戦前のソ連の宣伝本「蟹工船」が売れているという。ソ連の崩壊で共産主義運動
の犯罪性が世界的に証明されたというのに大変な時代錯誤である。映画最後の早慶戦
では最後の「海行かば」の大合唱の史実が隠蔽されているという。これはどういうこ
となのだろうか。
今日本は内憂外患こもごも来たるという難局に差し掛かっているが、これらの原因の
多くは今も続いている占領憲法以下占領政策にある。しかし国民には戦後史の真実が
隠されているように思う。そこで国民は日本の難局を解決するために真の近現代史を
学びなおす必要がある。ただし歴史を学ぶというのは従来のような反日イデオロギー
で歴史を決めつけるのではない。歴史事件を具体的な因果関係でつなぐことである。
歴史の連鎖では結果が新しい原因となる。そこで今後の日本の真の独立国家としての
進路を考えるにはまず大東亜戦争を正しく理解しておくことが必要である。
一、戦前の歴史:
戦争は突発することはない。そこには大きな時代の流れと指導者の決断がある。そこ
で大東亜戦争をめぐる極東の近代史を四大要因から考えてみたい。
第一は白人の植民地主義である。現代の日本人には理解がしがたいが、戦前の世界は
白人が支配していた。インドネシアなどは三百年にわたり植民地にされオランダの圧
政の下で収奪されていた。このため二十世紀に入ると支配者の白人と民族独立を望む
現地人との対立が先鋭化していた。この中にあって日本は最後に残された有色人種の
独立国として国際社会で健闘していたので白人からは邪魔者として憎まれ、有色人種
からは希望の星として頼りにされ尊敬されていたのである。
第二は米国の西進植民地主義である。米国は西部開拓が終わると太平洋に向かって勢
力を伸張しハワイ王国を滅ぼし、米西戦争で独立したフィリピンを武力占領して植民
地化し、さらに支那満洲への進出を企図していた。このため大陸に先行する日本は邪
魔であり日本が満州国を建国すると「満洲国不承認」宣言を発表して日本への敵意を
明らかにしたのである。
第三は支那の混乱である。一九一二年外来の満州人の清王朝が衰退すると、支那は複
数の軍閥の抗争する戦国時代に入った。これは蒋介石ら国民党軍閥にとっては支那民
族の復権と国家統一の機会となったが、同時に統一権力の不在は諸外国の国際工作の
場となった。日本も日清、日露戦争以来支那には権益を持っていたので特にソ連の極
東工作に巻き込まれることになった。
第四は大東亜戦争の真の原因である独ソ戦の影響である。すなわちソ連のスターリン
はヒトラーの著作「わが闘争」からソ連攻撃の近いことを予想していたので、東西挟
撃を避けるために東部国境の反共勢力である蒋介石軍閥と日本を無力化することを
謀った。それが反共勢力同士の戦争であり一九三六年の西安事件を始まりとする支那
事変である。
本来蒋介石も日本も戦争を望んでいたわけではなかった。蒋介石は国共内戦勝利で支
那統一の五分前と言う有利な状況におり、日本もソ連を警戒していたので大陸の戦争
をする意志はなかったのである。それなのに蒋介石は西安事件で逮捕され脅迫に屈し
てソ連の傀儡となると、通州日本人大虐殺など執拗な対日挑発を起こした。これに対
して日本は上海事変の反撃から大陸の全面戦争に引きずり込まれスターリンの狙い通
りの展開となった。ソ連は蒋介石側に三億ドルと言う天文学的な軍事援助を与える
と、四千名に上る赤軍軍事顧問団を多数の軍用機、武器弾薬とともに送っている。
この戦争にかねてから日本の弱体化を狙っていたルーズベルトが便乗して日本の講和
仲介要請を断ると蒋介石に大々的な軍事援助を始めるのである。そして三年後さらに
経済封鎖して日本の反撃を挑発したのが太平洋戦争である。ソ連は日本軍をさらに南
下させるために米国の支那満洲への野望を利用しハルノート原案を提供するなど日米
の戦争を画策した。
日本軍は少数であったが精鋭であり独立を望む現地人の援助を受けて圧倒的に優勢な
白人植民地軍を撃破した。そして解放したアジア諸民族にそれまで宗主国が禁じてき
た民族主義による独立準備教育を行った。日本軍は勇戦したが原爆まで投下されて降
伏した。しかし日本人は敗北したが大東亜戦争は正しい自由と独立を守る自衛戦争で
あったことを知っておくべきである。
ニ、戦後史(ソ連崩壊前)
日本の勢力が失われた極東はどうなったのだろうか。一言で言って米国の思惑通りに
はならなかった。それどころか米国の油断によりソ連が強大化したため、米ソの対立
が始まり冷戦が長く続くことになる。ソ連は戦争中、米国のルーズベルトの容共主義
を利用して百十五億ドルにのぼる莫大な軍事借款を取り付け独ソ戦に勝利したが、そ
の間に米国の高度な軍事技術や原爆製造技術まで窃取し、欧亜に版図を大々的に拡げ
ることに成功した。このため戦前とは比べ物にならない危険な大国となった。米国の
ウェデマイヤー将軍は「第二次大戦の唯一の勝利者はルーズベルトやチャーチルでは
なくスターリンであった」と述べている。(引用抜粋:同将軍著「第二次大戦に勝者
なし」)ソ連は戦争が終わると戦時中の新米方針を一変させ、天文学的な軍事援助を
踏み倒し世界各地で米国に厳しく対立した。一九四六年英国のチャーチルは「鉄の
カーテン」演説でこのような戦後世界を作るために戦争をしたのではないと嘆いたが
後の祀りだった。
米国の西進支那満洲進出戦略については、ルーズベルトはヤルタ会議でスターリンに
米国の腹の痛まない日本の領土や帝政ロシアの支那利権、九十万トンに上る膨大な武
器を代償に満洲の代理占領と戦後の蒋介石支持を取り付けていた。米国はその後蒋介
石を傀儡に支那満洲を支配するつもりだったのである。しかしスターリンは米国の腹
を見抜くと何度も蒋介石支持を確約した上で代償を先取りすると、一転違約して満洲
を毛沢東に渡してしまった。米国の原爆投下の威嚇もソ連に地上戦を恐れる本音を見
抜かれていたので効果はなかった。
そしてソ連に支援された毛沢東は内戦で米国が支援する国民党蒋介石軍を撃破してし
まった。この結果一九四九年米国は支那の全拠点から追い出され、長年の支那満洲を
狙う西進アジア政策は失敗に終わった。そこでマッカーサーは「支那の共産化と喪失
は米国太平洋政策百年の最大の誤りであった」と総括した。
太平洋戦争の米国の狙いが日本の占領ではなかったことは重要である。また支那は三
十七年ぶりに統一され戦前のような列強の工作の場ではなくなった。
白人の植民地主義については、日本が降伏すると宗主国は植民地の再建を図り、旧植
民地に来襲した。米英は大西洋憲章で植民地の独立を約束したが嘘だった。白人はア
ジアの植民地を失うと欧州の一小国になり下がるので、強引に植民地を再建しようと
した。しかしこの時代錯誤の再植民地化に対して現地側は日本軍の教育を受けた青年
たちが日本軍の残した武器を持って独立戦争に立ち上がったのである。
戦況は多くの近代兵器を装備する白人宗主国側に有利となったが、ソ連が民族独立運
動に介入し武器を送り反米闘争に利用し始めたので、米国はむしろ民族主義政権によ
る独立を望むようになり白人諸国に圧力をかけた。このためオランダはしぶしぶイン
ドネシアの独立を認めたのである。ベトナムではすでにソ連が糸を引くベトナム共産
党が植民地独立運動を指導していたので、仏の再植民地化は失敗し撤退した。インド
をはじめとする広大な英国のアジアの植民地も独立した。米領フィリピンも独立し
た。結局米国は日本を追い詰めたために反撃されその影響でアジアは独立し、欧米の
植民地体制全体が崩壊したのである。
このためあるアジア在住の仏人は、「日本は一般的には第二次大戦で敗北したとされ
るが、アジアのこの一角では勝利した。戦後この地域は一変した」と述べている(C
・ソーン著「太平洋戦争とは何だったのか」)。このアジア諸民族の独立運動がアフ
リカや南米の植民地独立に伝搬し、さらに米国の黒人の公民権回復運動を支援し、今
日の多数の独立国からなる世界を作ったのである。
三、日本近代史:
こうした戦後世界の変化に対して、敗戦した日本はどのように対応してきたのだろう
か。日本は降伏するとまず占領軍の厳しい軍事独裁化におかれ、世界から遮断され徹
底的な破壊を受けた。占領行政と言うと占領軍が破壊された日本を再建したように思
う人がいるが、米国のその後の対日政策の転換後の記憶が上塗りされたための勘違い
である。
彼らの日本占領の目的はあくまでも彼らの戦争目的の完遂であった。米国の太平洋戦
争の目的は、支那満洲支配のために邪魔な日本を二度と立ち上がらせないことであっ
た。他方ソ連の目的は将来の米国撤退後における日本の共産化であった。両者は同床
異夢であったが、当面の日本破壊では一致していた。彼らの占領政策の核心は日本民
族の共同体の破壊であり、日本人の生存、生活、再生における伝統と連帯の断絶で
あった。そして重要なのはこれらの破壊政策を日本人に後から戻されないように相続
制度を変更したことである。仏人のトクビルが指摘しているように人間の社会構造の
基礎は相続制度にある。
古来日本人は戦争や飢餓などの生存の危機に対応して子孫が生き延び復活できるシス
テムを作ってきた。それが相続制度である。だから相続は平等ではないし平等であっ
てはならないのである。なぜなら平等にすると全滅するからである。
これは救命ボートの定員問題に似ている。全員がボートに乗れば全滅する。しかし半
数だけでも助かればその後子孫が増えて血族として復活する可能性が出てくる。ここ
には個体の生存よりも血族の継続を重視する人類の究極の知恵が見えるのである。
そこで敵は日本人の相続制度を平等主義に変えて、一時的な個人の欲望を利用し、全
体の破壊政策を修正させないように仕組んだのである。これは仏革命やその後の共産
革命でもみられた左翼の定番政策であった。このため日本は今少子化が止まらず戦前
の美しい家族愛が失われ道徳が乱れて苦しんでいるのである。
四、日本正常化の機会と回避、挫折
日本が占領軍に破壊されている間に極東情勢は急速に変化した。このため戦前のアジ
ア政策を引きずる米国の日本占領政策は時代遅れになってきた。米国では中共の支那
統一で大陸から追い出されると、「支那が失われた」と悲痛な叫びが国中で上がっ
た。これと同時に米国の邪魔だった日本を占領支配する意味は失われ、かえって武装
解除した日本の国防代行が大きな負担になってきた。
そしてさらにスターリンが一九五〇年米国の注意を欧州からそらすために、朝鮮戦争
を起こすと、米国では身勝手にも「アジアはアジア人に守らせろ」の声が上がりだし
た。日本を再軍備して米軍の犠牲を減らそうと言うのである。
そこでダレス国務長官は一九五〇年来日し、吉田首相に再軍備を許可した。対日占領
政策の基本である日本非武装化方針を百八十度転換したのである。これとともに東京
裁判による日本軍人の処刑はピタリと止み、二度と再開されることはなかった。しか
し吉田は占領憲法や経済困窮などを理由に再軍備を拒否した。
だが吉田の真意は別にあった。すなわち、米国が戦前以上の三十万の日本軍の再建を
求めるのはそのうちの十万を朝鮮に国連軍名目で派遣する腹と読んだからである。す
なわち日本としては米国の極東政策の失敗を日本青年の血で尻拭いさせられてはたま
らないということである。ただし吉田は独立国家の自衛は当然の権利と考えていたの
で、後年は核自衛を主張した。
米国は日本政府の自衛反対を知って困惑し、それまでの占領政策を矢継ぎ早に変更し
始めた。まず一九五一年占領軍総司令部のマッカーサー将軍を更迭した。これは彼の
影響力が日本の再軍備に有害と見たのである。マッカーサーは早速議会で「日本の戦
争は自衛のためであった」、また「憲法九条は日本人が作ったもの」と証言し、日本
政府が再軍備し易いように誘導した。
そして一九五二年には日本に再軍備させるべくサンフランシスコ講和条約を作り独立
させた。このため同条約にはベルサイユ条約のような敗戦国の国防制限はない。しか
し日本政府は用心深く再軍備をせず、警察予備隊を創設しただけであった。
このため米国はやむなく講和と同時に日米安保条約を締結した。そして一九五三年十
月には国務省のロバートソン国務次官補が与党幹部の池田勇人を招き、再軍備を要請
した。
これに対して池田は以下の理由をあげて断った。
①兵役対象の青年は米占領軍により何が起ころうと二度と銃を取らないように教育さ
れた。
②婦人、特に遺族は大切な人をささげたのに戦後大迫害を受けたので絶対に反対す
る。
③それでも軍隊をつくると米占領軍が共産主義を広めたので、軍隊が共産クーデタを
おこす可能性がある。(抜粋引用:「吉田茂とその時代」J・ダワー著)
米国は占領政策を反省するしかなった。日本軍を千人でも残しておけばよかったので
ある。そこで会談直後米政府はニクソン副大統領を東京に派遣し、日米協会の昼食会
で占領憲法の第九条は誤りであったと公式に声明を出させた。朝鮮戦争は一九五三年
スターリンが急死すると休止状態になり、日本軍の出兵の可能性は低くなっていた。
しかし日本政府は憲法を改正せず再軍備しようとしなかった。日本のマスコミはソ連
の影響を受けて左翼的であり、占領状態の正常化に反対した。
このため国民は国際情勢の変化を正しく知らされないまま、日本に開放された米国市
場を利用してひたすら経済復興に邁進したのである。こうして戦後第一の占領体制正
常化の機会は失われた。政府がまに合わせに作った自衛隊は名前から分かるように軍
隊ではない。軍法会議など万国共通の軍隊の基本機能を持っていないからである。
五、ソ連崩壊と日本の危険な状況:
この後日本は経済発展を続けたが、政治やマスコミ、文化界の価値観は占領時代初期
の左翼的な反日のまま固定していた。そこに世界史的大事件が起きた。それは一九九
一年のソ連の自滅である。ソ連は人類初の理想主義国家として誕生したが、七十年後
に崩壊して分かったことは未曾有の犯罪国家であった。この事実が分かるとそれまで
日本で支配的であった左翼は勢力を失った。もともと左翼思想はあいまいな妄想であ
り、左翼運動は冷酷な現実主義者が妄想的共産主義者を利用して権力を握り私利私欲
を満たす詐欺運動であった。この単純なカラクリは英国のG・オーウェルが「動物農
場」で風刺している通りである。ソ連が崩壊すると国際社会では新しい二つの動きが
現れた。一つは国際経済が国境を越えて諸国民の生活に大きな影響を与えるように
なったことである。それが文化的社会的な反発を招き大きな問題になっている。もう
一つは米ソの冷戦で押さえつけられていた各国の民族主義が盛んになったことであ
る。この結果世界は核兵器の拡散と合わせて米国一国では管理が難しい状況になりつ
つある。そして米国はすでにアジアには地理的利権がなくイデオロギー的な対立も消
えku梵C里如・椶硫礎佑發覆・覆螢▲献△・號姫卆・魏爾欧詁阿④・个討い襦・衫
梁寮・鯔麓蕕靴討④親椶砲箸辰涜臺儡躙韻幣・靴砲覆辰討い襦・・w)w)
六、日本の課題:
そこで日本の政治を見ると国際社会の激しい変化に正しく対応してきたのだろうか。
日本の与野党やマスコミの行動は、ともに日本の独立や建国を祝わない、共同体の犠
牲者である靖国神社の英霊に感謝しないという点で共通である。これは半世紀以上も
前の反日占領体制を占領軍に代わって続けているのと同じである。だとすると彼らは
占領体制を変えたくないのではないか。マスコミも戦後世界の変化と冷厳な現実を国
民の目から覆い隠してきた。しかし外国による横田めぐみさんらの国民拉致、竹島領
土侵犯事件などの被害が明らかになり、もはや隠しおおすことはできない。このため
国民の間には占領体制をいつまでも続けようとする与野党に見切りをつけ新しい政治
勢力に期待するという声が上がっている。その場合核となる政策は占領軍に奪われた
国民国防制度と家制度の回復であろう。
その正常化が他の分野を芋蔓式に正常化してゆく。一九五三年日米会談で池田勇人は
ロバートソン国務省次官補に「日本人が自分を守るのは自分しかないことに気づくに
は相当の時間がかかるだろう」と述べた。(抜粋引用「吉田茂とその時代」)またあ
る米国GHQ要員は離日時に日本は長い歴史のある国だから、独立を回復すれば占領
軍に破壊されたものを復旧させてゆくだろうと述べたという。今その時が来ているの
である。
了
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