極東の島日本は、行き止まりの地。それ以上は進めない。だから人々は、嫌でも折り合って生きていくしかなかった。そして幸運なことに、四方を囲む海が、外敵の侵入を防ぎ、独自の伝統と文化を育んでくれた。私達はそれを存分に貪り、慣れ親しんできたわ。日本人の気質は、そうした独特の風土の産物だし、勿論、ハトも菅も、その影響を免れることは出来ないのよ。
彼らがいくらグローバル社会だ、東アジア共同体だ、日本列島解放だと言ったところで、所詮それは日本流の話。ルソーが唱えたような、国家も民族も家族の連帯感も取り払った個人の集まりなどという孤独な社会は、日本人には想像すら出来ないでしょうよ。日本人の考えるグローバル社会とは、聖徳太子の、和をもって尊しとなす、つまりみんな仲良く、の世界なんだから。
日本人に限らず、人は独りでは生きてはいけないわ。独りぼっちというのは、視界のない雲間を漂っているようなもの。何かを掴もうと必死に手を差し出しても、虚しく空を切るばかり。そんな不安な精神状態に耐えられるほど人間の精神は強靭じゃないわ。宇宙のように、どこまでも開放された精神の持ち主なんていないのよ。いるとすればそれは行っちゃってる人ね。
自由と平等はお互いに並び立たない価値観よね。それと同じで、社会的動物である人間から、国家と家族、その二つを同時に奪うなんてことは出来ない相談なのよ。国家が無くなれば、家族の絆が強まるし、家族がバラバラになれば、国家を求めるようになる。それも移民や異文化を排斥し、混じりっけなしの純粋な国家をね。国家はどんどん小さく、塀はますます高くなって、人々は争ってそこに逃げ込むようになるわ。
民主党さん、家族と国家の解体という長年の夢が、すぐ手の届くところまで来てるわね。でも老婆心から忠告すると、両方同時にやるのは、どう考えても無謀というものよ。人間の本能に反することは、必ず失敗するし、最後には、自然の原理で正常に戻ったとしても、その間の社会の混乱と惨状は目も当てられないわ。あなた達は間違いなく、人々の怨嗟の的になるわよ。
だから解体は、家族か、国家か、つまり夫婦別姓か、外国人参政権か、片方ずつにして頂戴。それなら修復するにも百年単位の年月は必要ないから。両立しないと言えば、菅の言う強い経済と強い福祉社会もそう。まあ、覚悟はしてるけど、ハトに勉強させ、菅に修行させ、民主党に一度やらせてみるための代償って、半端じゃないわね。 (玲)
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